過ぎ去った歴史記録を集めるのが、こんなに難しいことだとは思いませんでした。単に歴史を書くだけでなく、 2度と帰らぬ青春の一時期を、共に過ごした大学の交響楽団での生活に対する想いが、メンバーの1人1人の中に、どのような形で残されて いるのかを知りたいとの願いもありました。在籍された当時から今日までの年月の長さと、その間、ほとんど皆様と接触する機会を持たなかった 響友会活動に、この企画の無謀さを改めて感じることもありました。約250通の手紙・往復葉書・メールで執筆依頼と情報提供をお願い しましたが、当初は、転居先不明で返送される郵便物ばかり。さらには、大部分の方から何のご返事も頂けず、こんな調子では完成は無理かなと、 一時は断念も考えました。それでも、3月末になってからは少しづつ原稿やメールが到着するようになり、その中で語られている皆様の『熱い想い』 が胸にズシンと響く様に感じました。さらに4月になると、殆ど諦めていた年代の方々からもメールを頂き、不明で放置しょうと考えていた 何世代かの空白を埋めて頂きました。また、ご指摘を受けて、従来間違って記載されていた項目も訂正することが出来ました。本当に沢山の方々の ご協力(海外からも含め)と皆様の中に今なお消えない音楽に対する情熱のお陰で『神戸大学交響楽団の歴史』の全貌が姿を現しました。 ご協力本当に有難うございました。心よりお礼を申し上げます。
私には、混沌の中から、最後には何とか曲を仕上げて演奏会に望んだ、戦後発足間もない時代のオーケストラ指揮者の焦りと 困難さが再現された様に思える毎日でした。が、原稿を頂いた皆様全員が{オーケストラ生活}に意義があったと書かれているのを拝見して、 こんな馬鹿げた事でも、実行して良かったなと思っています。
考えてみれば、大学のクラブの中で最大の規模で活動しているのは、恐らくオーケストラではないでしょうか。 他にも人数だけを見れば、超えるものもあるかも知れませんが、大人数の全員がいつも一緒に活動出来るものは無いと思います。 それに、練習・合宿・飲み会などを通じて青春時代を謳歌し、交友を深める姿は、今や失われた「旧制高校(大学予科)」の良さを現代に伝える 唯一のものではないだろうかと思うのです。そんな大それた思いで始めた訳ではありませんでしたが、皆様のご努力で、 かけがえの無い宝物を残したように思えるのです。
残念ながら、いくら手段を尽くしても、年度によっては事実が判明せず、多少の不完全さは残りましたが、 何とか形になったことを、心から嬉しく思っています。
なお、内容の間違いや追記する事などがありましたら、是非お知らせください。また、感想、或いは名簿上は不明になっている 会員の住所などの情報をお知らせください。さらに、消息不明で送付出来なかった方に、ご宣伝頂き、もし希望される場合には、 喜んでお送りしますからお申し出下さい。
*文章を書いて頂いた方以外にも、沢山の方々から情報・お手紙を頂きました。
心からお礼を申し上げます。
(敬称略・十分調べましたが、漏れていましたら失礼)
藤本恭子、青柳 良、坂本伸哉、浦井 勲、奥田伸悟、鳥丸安雄、堀 宏至、
谷口 浩、川上達文、西尾 博、野崎富夫、村上憲司、谷口人士、岡田 司、
安形修二、樋口和夫、佐々木圭一、井上耕一、安本信幸、前川繁登、
逢坂賢司、大山浩邦、前田由里、木村 仁、井上喜文、大田 健、木股英子、
上野 良、山地順子、植田 聡、篠原朋子
*私の履歴 =
昭和4年(1929)大阪市生まれ
昭和22年(1947)神戸経済大学・予科入学
25年、神戸経済大学・経済学部・新庄ゼミ(金融論)
28年(1953)卒業、朝日新聞大阪本社(営業)入社
昭和61年(1986)定年
平成3年(1991)(株)朝日サービス・センター社長・退任
昭和62年(1987)より、響友会会長
平成14年(2002)退任